メインビジュアル

日本酒

【日本酒熟成の歴史】江戸時代までと、明治に起きた熟成酒の転換期 

2025.11.26 著者:sakesukiya

3 熟成酒の歴史

弥生時代〜平安時代〜鎌倉時代

新酒=日本酒となったのは100年ちょっと前からの話。それ以前の長い酒の歴史では、熟成した酒が旨い、といった価値観は当然にありました。2000年前稲作の伝播定着とともに酒造りや寝かされた酒は徐々に浸透、おそらく1000年以上は熟成も楽しまれていたと思われます。記されている一番古い記述は、平安時代「延喜式」という書。ここに「熟酒」と記され、1000年以上前に熟成の酒を楽しむ文化が、日本に存在していた最も古い証です。 その後様々な文献に、熟成の酒に関する記述は多く存在します。有名なものでは、鎌倉時代の仏教界スーパースター、日蓮の手紙。日蓮は大変筆まめで、多くの素敵な手紙が残されています。また酒好きだったようで、ある時信徒から贈られた酒のお礼には、「三年の古酒」「人の血を絞れる如くなる古酒」「油のような酒」と書かれています。少々ホラーな表現ですが、古酒が濃厚な色味や粘性ある酒質で、何より返礼状を出すように貴重なものを、という認識のようですね。

江戸時代

酒文化の歴史で欠かせないのは、江戸時代。町人文化が花開いた時代は、酒も市民に大いに親しまれていました。「居酒屋」「下らない(酒)」など今の言葉にも影響を残している、盛んな時代。ユニークな「お燗」文化(酒を温める習慣は世界的にも珍しい)や冬に仕込む「寒造り」もこの時代からです。 熟成の記述も多く「本朝食鑑(1697年)」という食の専門雑誌では、「3年4年5年を経た酒は、味が濃く、香が美く、最も佳い」と記されています。「江戸買物独案内」という文政期のツアーショッピングガイド誌には、江戸の商店、商品がズラッと並んでいます。ここにも酒では「七年酒」「九年酒」なども紹介され、おおよそ新酒の2〜3倍の価格で売られていました。江戸の商人はきちんと時間を付加価値化していたのですね。川柳では「三年酒 下戸も苦しむ 口当たり」古酒が口当たりよく下戸もつい飲んでしまい苦しむ、とは面白い描写です。 このように江戸時代には、熟成の酒も市民にちょっといい上質な酒として広く親しまれていたようです。 ところが状況が一転するのが明治後期、今に続く「熟成酒失われた100年」へ。一体何があったのでしょう?

4 失われた100年

造石税の導入

明治に入り国の体制も変わり富国強兵の時代、酒もその影響を受けました。税制の変更が行われ「造石税」が導入されたこと。これは酒を造った時にメーカーに課税する、(今は出荷時に酒税がかかります)が、蔵では先に課税されるため早く売らないと回収が遅れる状況が生まれました。背景は酒税のウェイトが異常に高かった事。なんと1899年には国の税収の1位に、全体の1/3〜1/4の財源とは今では考えられない規模です。日清日露戦争の戦費を賄う、貴重な財源であったようです。

醸造技術の進化

もう一つは、技術の革新が起きた事。西洋の微生物学の導入から、醗酵に関する研究が進み新酒の味わいが向上しました。東京・王子に国立醸造試験場(酒類総合研究所の前身)も建てられ、現代の酒造り技術の基礎(山廃酛・速醸酛など)も発展したのがこの時代です。 税務署の設置と酒造組合制度なども整い、今へと続く形がつくられました。造石税は大戦後に廃止されましたが、その頃には熟成酒はほぼ市場にも蔵にも姿を消し、新酒が日本酒の味としての認知が広く一般へ浸透していました。

熟成のニセモノ!?

ここで興味深いのが、明治当時の市民の熟成酒の旨さを求める声。町に熟成酒がなくなった頃、なんとニセモノを作ろうと言う本が流行ったのです。どの時代も、ないと言われると欲しくなるもの、市中には「新酒を古酒にする秘密伝」やら「新酒に古酒の薫香を付加する法」「新酒を古酒に擬する法」「新酒を直に古酒にする事」など、照れもなくそのままのタイトル本が横行。工夫してでも何とか旨さを楽しみたいと、市民は思っていたようで。 大戦中の米不足、戦後の等級制を経て、1989年より現在の「特定名称」へと移行し吟醸・大吟醸などのクラッシングで、量から質へと時代は向かいました。この区分から36年が経ち、これからの時代に合う、世界を見据えた時代に合う、品質や味わいの評価軸を見直していく頃かもしれません。

前の記事

次の記事